愛される女より愛する女が幸せな理由

男は、ごくごく一部の人を除いては、すごく飽きっぽい生き物です。

ある男がある女性を愛したとしましょう。

彼は、毎日電話をかけたり、プレゼントをしたりと、手をつくして愛する女性の気を引こうとします。

しかし、それは永遠に続くものではないのです。

 

何日も求愛を続けますが、いつまでたっても女性の気を引けなかったり、ほかに素敵な女性が登場したりすると、それまでの熱が急速に冷めてしまうこともあるのです。

男は燃え上がるのも早いですが、冷めるのも早いことを覚えておいてください。

手を替え品を替えて言い寄っていたにもかかわらず、もうほかに目が向いてしまうのです。

特局、「愛される女」はいつのまにか、「なんでもない女」になってしまうのです。

 

突然の出来事によって女性への思いを打ち消してしまう。

本当に不可抗力としか言いようがありません。

「愛される女」が、突然「どうでもいい女」になってしまう。

男は身勝手だと言われてもしょうがないでしょう。

しかしこれが事実であり、抗議をしてみても変わることはないのです。

 

ですから、「愛される女」が幸せなのは、特定の期間に限って、という条件がつくかもしれません。

 

「愛する女」のほうがかわいい

「愛する女」というと、積極的な女性のような感じがしますが、実は必ずしもそうではありません。

相手の目につかないところで、目だけでそっと好きな男性を追いかけている。

夜になると窓辺にもたれ、その男性が暮らす街の方角を見つめ、そっとため息をもらしている。

こんなイメージですがちょっと美しく描きすぎているでしょうか

現代なら、彼にラインを送りたいけれども、ドキドキして送信ボタンが押せない……といった感じでしょうか。

 

とにかく「愛する女」という言葉からはひかえめなイメージが浮かんでくるのです。

さらに、人を愛することは、その人をより魅力的にします。

あなたが誰かを愛した瞬間、あなたには新しい魅力が生まれているのです。

ときめく気持ちが、あなたに、女性ならではの柔らかくしっとりした魅力を与えてくれます。

これは人間というより、女としての喜びです。

 

「愛する女」には、「この人を守らなくては」という感情からくる、ある種の責任感が生まれるのです。

おつきあいしていても、片思いであっても、「愛する女」には女としての内面的な魅力が芽生えています。

そしてそれは、やがて肌のつやや瞳の輝きといった外面にも現われてくるのでしょう。

それがさきほど言った「魅力」の中身であり、「美」の正体です。

女性の美しさは、そうやってつくられていると思います。

 

「愛される女」より「愛する女」のほうが幸せだと思います。

「愛する女」はその恋愛で主導権を握っています。

その女性の思うまま、と言っても言いすぎではありません。

なぜなら、愛を続けるのも、終わらせるのも、その女性が好きなように決められるからです。

それに、よく考えてください。

自分が愛する相手は一人です。

愛する人がたった一人なら、自分で選びたいと思いませんか?

自分で本当の愛を選んで、その愛にときめいたり、悩んだりしたいと思いませんか?

あなたはぜひ「愛する女」でいてください