男が本当に心を許して話せる女性

ちょっと考えてみてください。

あなたは得をしたとか損をしたとかいう言葉を、日常どれくらい使っているでしょうか。

「わたしは、損得なんてあまり気にしていない」と言っている人も、ただ気づいていないだけで、案外頻繁に使っているものです。

いえ、使っていないかもしれませんが、何か行動するときに、ふっと頭をよぎることがあるはずです。

 

しかしそれは当たり前のことで、何かをすればその結果があるわけで、自分がしたことに対して、なんの反応も成果もなければ、無意味に思えてもしかたがありません。

たとえば、あなたが誰かのためにいろいろとお世話をしてあげて、その結果、その人は本当に夢を叶えることができたとします。

そのとき、その人があなたに対して「やってもらって当たり前」という態度をとったとしたら、これは間違いなく人としてルール違反です。

この場合は、相手の人に非があると思うのです。

感謝の気持ちを忘れているのです。

ですが、そこで振り返って考えてみましょう。

あなたがもし、その人のためにあれこれ活動することで最初から何かお返しをもらえることを期待していたとしたら、これはあなたの側に非があると思います。

素敵な女性は、みんなどこか損得を度外視しているようなところがあります。

ここぞというときに損得を考えずに動ける女性は人として尊敬できますし、心を許して話ができます。

逆に、本人は意識していないかもしれませんが、行動の端に少しでも計算が見えてしまうと、それだけでがっかりしてしまいます。

どんなに魅力的な人だったとしてもそこに正体を見てしまう気がするのです。

 

心の中の損得勘定は、その人の顔,に表われる

ところで、あなたは「平常心」を意識したことがありますか?

平常心とは茶道などで使われている言葉ですが、本来の意味は「普段通りで平静である心」と広辞苑では解説されています。

ここでは、平常心という言葉を僕なりの解釈で使っています。

「その人の本来の素のままの優しさや厳しさ、誰に対しても変わらない自分らしい気持ちの表われ」というものです。

ですから、損得を計算する人は、そういう気持ちをなくしていくのではないか、と危惧してしまうのです。

あれこれ助力を求められるうちに、最初は善意で誰かの手助けをしていた人の気持ちの中に「何かをしてあげれば、こんな対価が得られる」という思いが芽生えると、その人の素敵さは失われていきます。

顔から輝きが消えた、抜け目のない女性を想像してしまいます。

そんな女性には、こちらも、心を許して話ができなくなってしまいます。

 

損とか得というものは、意識すればするほど人間から「心」を消していくものだと思うのです。

損得を計算してしまうと、そこに現われてくるのは「欲」だけで、そういうものを強く求める人には最後には「孤独」しか残らないのです。

損得計算のない関係は安心します。

相手を落ち着いて信頼することができ、長いおつきあいができます。

そんな関係にある人たちの表情は豊かで、曇りひとつないでしょうそういう人たちに引き寄せられてくるのが「幸福」だと思います。

幸せ、というよりも「幸福」です。

これはあくまでも僕が感じるニュアンスですが、「幸福な関係」という言い方がここではふさわしいでしょう。

損得の計算なんてするよりも、あなたの助力や協力や行動で、誰かが喜んでくれたほうが、あなたもうれしいし、ゆったりした気持ちになれると思いませんか。

そんなあなたの余裕ある感情が、男性を惹きつけるのです。